• カテゴリ タイマッサージの技術 の最新配信
  • RSS
  • RDF
  • ATOM

ブログ「タイマッサージの真実」 - タイマッサージの技術カテゴリのエントリ

これから書くことは特定のサロンの悪口と受け取られても仕方がないのだが、まず、ここで取り上げているサロンはタイでも屈指の人気サロンであり、人気と名声があるからこそ辛口になってしまうということを理解していただければと思う。実際、名もないサロンと比べれば平均レベルは遥かに高く、相対的にはお勧めサロンであることは間違いない。また、それらのサロンには数十人のセラピストが所属しているが全員だめなわけはなく、一定人数は非常にレベルが高く素晴らしい施術ができるに違いないが、今回は、そういう人をあえて指名せず飛び込みで入った時にどうかという話で、更に、その施術レベルが私が思い描くわたし好みの最高のマッサージであるかどうかという極めて主観的なものであることをお断りしたい。

チェンマイには、チェンマイスタイルマッサージのプロトコルを開発して世に広めた「オールドメディソンホスピタル」がある。サロンというよりホスピタルなのだがやることは普通の2時間のタイマッサージである。ここには何度も行ったが、一回はとても満足し、二回目はがっかりし、三回目は普通だった。有名なスクールも併設しているのだが、セラピストはスクールで教えている通りにはやらないようだ。変な癖やリズムがついてしまっている。

チェンマイで一時期、日本人に口コミで有名になったのが、スパトラーズ。確かに悪くはないが、痛かったし、意外と普通だった。比べる相手が悪いのかもしれないが、チェンマイのスクールティーチャーである、シンチャイ先生、タノン先生、キム先生が行う体が溶かされていくような至福の感じではなかった。

バンコクで有名なのはヘルスランド。大きな独立した美しい建物の大規模店だが、技術はまあ普通か。逃げだしたくなるほど不快ではないが、幸せになるほど気持ちよくもない。何度も行ったが、どのセラピストもそんな感じだった。

バンコクのプロンポンにある「ワットポースクンビット校直営サロン39」。ここは日本人経営のスクール直営なのでワットポー仕込みの本格マッサージが受けられそうなのだが実際は違う。ワットポーのセラピストではなく、スクンビット校が雇用したセラピストが働いており、技術はワットポースタイルではなく町のマッサージ屋さんな感じである。町のセラピストよりは上手な気がするが、何回か行って、感動するような施術には出会わなかった。

これまでホテルの近くとか行きやすいところばかりに行っていたので、今度は少し遠いがシーロムにあるあの有名な有馬温泉に行ってみることにした。有馬温泉の歴史は古く、30年以上前からJALのスチュワーデス御用達の有名店としてガイドブックにも数多く紹介されている。行ってみると、思っていたような有馬な感じではなく(当たり前か)、大きなマンションの一階が受付になっている大型店だった。受付ではお客さんをどんどんさばいているようで、上の階が施術室になっている。セラピストはすごい数いるようだ。ここでのタイマッサージもどちらかと言えば下手だった。ヘルスランドくらいのレベルだろうか。どんどん客をさばいている感じが工場のようで、私はおもてなしを受けるというより、まな板の上の魚として扱われているような感じすら持った。しかし、長年にわたって繁盛しているので満足して何度も来ている方も多いのだろう。サービスや施術が悪いわけではなく、私の要求レベルが高すぎるだけの話だ

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (2032)
タイに行けばタイマッサージを受けたくなるが、どこがお勧めかというのは難しい問題だ。スパのようなきれいな施設で受けても一時間1500円くらいだからある意味受けなければ損なのだが、自分が行くとしても考え込んでしまう。
その理由は、適当に入ったマッサージサロンでいいセラピストに出会う確率が極端に低いからである。昔はもっとレベルが高かったようにも思うのだが、最近はひどいマッサージが蔓延しているように思う。そう感じているのは私だけではないようで、チェンマイクラシックアートのオーナーの方も、スクールのページでこのように書いている。

以下引用------------------
今、あの「世界で一番気持ちイイマッサージ」が滅びかけています。
最近、チェンマイ式タイマッサージ発祥の地チェンマイでも、あの「世界で一番気持ちイイマッサージ」に当たることが急速に少なくなってきました。
これには、当スクールもとても危機感を感じています。これはタイの国が観光収入目的で、タイマッサージの普及を奨励するあまり、短期間にマニアル的な1〜2時間の施術の流れのみを覚えて、その施術しかできない画一的なマッサージ師を大量に排出してしまっている結果だと思います。
ここまで------------------

そう、タイマッサージは「世界で一番気持ちいいマッサージ」だったはずなのだ。私がタイマッサージを始めたのも私自身がそう思ったからなのだ。ところが最近タイのサロンで行われるマッサージは、痛いのをずっと我慢している感じになる。一時間で300バーツくらいなので、失っても大した金額ではなく、本当はすぐに中止して帰りたいのだがセラピストは機嫌よくやっているので「へただから帰る」とは言い出せず結局最後まで我慢することになる。ささやかな抵抗としてチップは払いたくないのだが満面の笑みで見送られると結局払ってしまう。つまり、セラピストは自分は「世界で一番気持ちいいマッサージ」をやっているつもりなのであり、そこが救いようがない部分でもある。

マッサージチェアというものがある。ファミリーやパナソニックのようなメーカーが出している大型の高級機だが、最新のものがフィットネスクラブに置いてあるので何度か使ったことがある。マッサージチェアを自宅にも買って持っているような人は「最近のはすごく気持ちがいい」と言うし、フィットネスクラブでも皆さん気持ちよさそうにしている。これがわからない。あれのどこが気持ちいいのか? 背中をゴリゴリされて痛いだけだ。ふくらはぎとか腕はエアーで掴まれるような機能があるがそれも強すぎたり弱すぎたり、何をしているんですか? という感じだ。私にとってはマッサージチェアというのは拷問に近い。あの感じがタイで受けるへたなマッサージの感じだ。だから私や、タイマッサージをよく知っている人はそれがだめなことはわかるのだが、一般の人はひょっとしてあれでも気持ちがいいと思っているのかもしれない。マッサージチェアで気持ちがいいと思うのだから、それよりは少しましな、人がやるマッサージに十分満足しているのかもしれない。そしてそんな客が、セラピストを勘違いさせ、だめなタイマッサージが蔓延する理由の一つになっているのだと思う。

具体的に何がだめかというと、まず、握るように押すことだ。リズムはせわしなくて速く、そして、なぜか指圧を入れた後、圧を抜く直前に皮膚をえぐるような動きが入る。これが痛くて不快だ。もう一つは、ラインやトリガーポイントを的確に捉えていないこと。最初は「こういうツボやラインもあるんだ、この人はよく知っているなあ」などと思っていたのだが、そうではなく、単純に意味のないところを押しているだけのようだ。場所も違うし押しかたも変。これでは効くはずもないのだが、効かないだけに、相手が痛そうな顔をするまでやたらめったら強く押してくる。痛そうな顔をすると自分はちゃんとできていると思うのかセラピストは満足げな笑みを浮かべる。

ホテルの近くなどに店を構える小さいマッサージ屋さんは、ほぼこんな感じだ。もちろん、中にはちゃんとした人もいるが、確率的にそういう人に当たることは少ない。そういう人は常連さんに予約されているからほとんど当たらないのかもしれない。それで、「世界で一番気持ちいいマッサージ」を探してみることにした

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (2241)

次郎の寿司

カテゴリ : 
タイマッサージの技術
執筆 : 
camel 2014-1-28 14:33
前回までなぜか他のスクールの宣伝になってしまった・・・

他のスクールの宣伝をしている場合ではない。ピシットタイマッサージスクールJapanでも、タイマッサージの本質を、日本語で懇切丁寧にお伝えすることをミッションと考えているので是非一度体験に来ていただければと思う。

先日、すきやばし次郎という有名な寿司屋についての映画を見た。その中で印象的だったのは、まず、次郎寿司の跡継ぎである次郎さんの長男の言葉。

「ロブションのすごさはその鼻と舌にある。あの嗅覚と味覚の鋭さがあるからあれほどうまい料理を作れる。うまい料理の上限はその人がもつ味覚で決まる。それが天賦の才能である」

同感である。自分でこちらの方がうまいとわかるから、よりうまいものを作れる。その違いがわからなければもっとうまい料理を作れるわけがない。あらゆる芸術について言えることだろう。

そして次郎さんの寿司は交響曲のような構成を持っているという。食べ進めていくと、温かい寿司、そして冷たい寿司、さっぱりした寿司、濃厚な寿司と音楽を奏でるがごとく寿司ワールドが展開していく。第一楽章、第二楽章、・・・、とそれぞれが季節のテーマを持っており、20分間の芸術作品だそうだ。次郎さんはその着想を得て、寿司を芸術作品として極めるため日々、もっとよくできると研究を重ね、現在の形に到達した。それはわかる人にはわかるらしく、ロブションやミシュランに三ツ星以外に評価しようがないという評価を得た。

客が好き勝手に注文する限り流れを持った作品にはならない。だから、お任せコースしかないのだそうだ。最低でも3万円かかるので、スシロー専門の私には縁のない世界だがその取り組みには感動した。

私が目指すべきタイマッサージの姿がそこにあったように思う。寿司はもともと食料であり栄養として食すべきものだが、その目的を大きく離れて、味覚を楽しむ芸術まで昇華された。タイマッサージももともとは体の健康を回復するものだが、一連の流れを交響曲のように構成し、触覚を楽しむ芸術にまで昇華できるのではないか、そんなことを考えた。そのためには、ロブションのように自分の体の感覚を最大限に研ぎ澄まし、マッサージの気持ちよさをテーマに、タイマッサージの技術を磨く必要がある。幸いなことに楽譜に相当するシーケンスはピシット先生から授かっている。あとは、それをどう演奏するか、ということだ
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (2870)

イチローの整理整頓

カテゴリ : 
タイマッサージの技術
執筆 : 
camel 2013-1-19 10:26
年末年始のテレビで、イチローのロングインタビュー番組を見た。
イチローの家や滞在先のホテルで話を聞くのだが、最も印象に残ったのはカメラに映りこんだ、彼の着替え用の衣類である。

お店で陳列されているように綺麗に畳んで、寸分の狂いもなく何枚も綺麗に重なっている。

滞在先のホテルである。誰も見ていないし、そこまで綺麗に畳んでも実利は何もない。しかし彼はそれをやる。会社勤めをしているとき、特に工場で現場の整理整頓、そして帰宅時に自分の机の上を綺麗に片付けるというのをうるさく言われていたことを思い出した。

イチローは完ぺき主義者だし、工場も雑然としていると事故のもとになるから、というのはひとつの解釈だし間違いではないだろう。ただ、私もこの年齢になってわかるのだが、本質的にはそういうことではないように思う。
Tシャツを綺麗に畳んだところで何かいいことがあるわけではない。ではなぜ雑然としているといやなのか。それは、イチローが自分の仕事である野球の技術の何に問題があるか、そして、どうすればもっとよくなるかを考えるときに、頭の中で、あるいは体でどこに問題があるのかをひとつひとつチェックしていくのだが、そのすべてのひとつひとつが完全でないと完全でないところが見えてこない。例えばグローブの表面が多少汚れていても捕球には問題がないとしても、そこに汚れがあるということがノイズとなり、ノイズの積み重ねが本来修正しなければならない精妙な何かを見えなくしてしまう。だから、グローブも完全な状態でなければならないし、突き詰めていくと、生活を取り囲むすべてのものがノイズ、雑念を発生しない静かな整理された状態でなければならない。

職場や仕事での整理整頓も同じことだ。精度の高い思考をする人は机の上が散らかっていると集中できない。頭の整理をして、集中力を高める際に同時に、机の上やパソコンのファイルを整理してからでないとスタートできないのだ。私もそうだ。

天才は違うかもしれない。イチローが自分は天才ではないというのはそういうところなのだろう。私生活がぐちゃぐちゃなのに打ちまくる大リーガーのことを天才だと思っているに違いない。

お店の運営や、タイマッサージの技術も、きちんと整理整頓して取り組む人はレベルが高い。サービスも技術も、整理整頓から精度が高まり、ディテールに魂が宿る。どんなにデザインが優れた店舗も、完成されたタイマッサージも、行う人が雑ならば細部のこだわりは見えてこない
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (3327)

ストレッチの重要性

カテゴリ : 
タイマッサージの技術
執筆 : 
camel 2012-4-27 14:24
ピシット先生の来日特別講習会が無事終了した。
今回も盛りだくさんの内容で、学べば学ぶほど、タイマッサージの奥深さが感じられ、ピシット先生の知識と経験と技術の深さに驚く。

そんな中、今回特に感じたのがストレッチの効能。

タイマッサージと言うと、強い指圧を思い浮かべる方も多いかと思う。しかしながら、近年、指圧よりもストレッチを重視する傾向がタイ厚生省や名人の間では定着しつつあるという。

その理由は安全性が高く、また治癒効果も高いからだ。特にヘルニアやぎっくり腰のように押すことに危険を伴う場合は特にいい。

さらに言えば、ストレッチをしてあげるよりも、本人が自分でストレッチをする方がいい。自分でやるので痛ければ止めるし、無理をしないので極めて安全性が高いだけでなく、毎日自分の家で、自分で行うことができる。しかもお金もかからないし、治療院に行く時間の無駄もない。

ピシット先生は、多彩なストレッチの技術を持ち、毎年少しずつ改良を重ねているのだが、このところ、特に、セルフストレッチを推奨するようになっている。いままでも治療後に必ず、自分でできるルーシーダットンを教えて毎日行うように指導するのだが、最近は初めから患者さんにルーシーダットンを教え、あるいはそれを手伝い、それだけで治療を完了してしまうことも多い。

お客さんがルーシーダットンを覚えて、自分で毎朝エクササイズを行うようになったらサロンや治療院は要らなくなってしまうのだが、それができないから病院や治療院に人は来る。しかし本当はセルフストレッチが最強であり、自分の健康は自分の努力で管理すべきもので、その意識がないとすぐにまた悪くなってしまう、それがピシット先生からのメッセージであるように思う
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (2472)

弓道とタイマッサージ

カテゴリ : 
タイマッサージの技術
執筆 : 
camel 2012-1-5 18:14


正月は時間があるのでテレビを見るのだが、テレビ局の人も正月休みなのか、つまらない番組が多い。そんな中、NHK-BSでやっていた、「武士道 Samurai spirit」というシリーズが面白かった。
外国向けの番組で、日本在住の空手家のペタスさんが様々な日本の武道を紹介するシリーズで、正月に過去の放送をすべて放送していた。

第一回は弓道。

和風アーチェリーと思っていたが、どうやら全く違うもののようだ。
作法や心構え、そして技術について細かく説明するのは大変なので、エッセンスを要約すると、

「的に当てることが目的ではない」

らしい。では何が目的かというと、

「無心になる」

ことだということだ。無心になれば、暗闇でも的を射抜くのだという。だから、昇段試験は、ダーツのような得点で決めるのではなく、品格を見るのだという。

深すぎる話だ。スポーツでは平常心の重要性が言われることが多いが、無心と言うのは一種独特な世界で、自我を消失させ、己の体に宿った神が仕事をするという状態である。普通のスポーツは冷静な頭で考えながらすすめることが多いので無心になってしまっては仕事はできない。無心になったときに体が勝手に動いて、というのは一瞬で勝負がつく相撲くらいなものだろう。その相撲も、弓道も、神事として行われることが興味深い。

日本では、武術も、格闘術も、術を超えて、「道」という領域で研鑽する。それが日本人の強さ、美しさに他ならないのだが、なぜか、タイマッサージも似たようなところがある。
中国整体や西洋のマッサージではそういう精神性よりも知識の集積と応用の方に重点がおかれているように思えるのだが、タイは仏教国のためなのか、タイマッサージを道として極めるような文化がある。もちろん、都会の商業的なサロンで働いている大多数の人たちはそんな感じはないのだが、寺で無償で貧しい人を治療してきた歴史の中で、そこに高い精神性を意識したというのは自然な流れだったのかもしれない。

そう、タイマッサージも、無心で行うことが奥義とされる。お金を稼ぐことや自分の力を誇示するだけでなく、治療することすら目的としてはいけないという教えがある。もちろん、治療のためにやっているので、治療してはいけないという意味ではなく、「自分の力で治してやるんだ」という気持ちで臨んではいけないという意味である。無心になって相手と向き合い、相手の体を感じ、心を感じ、自分の心と体の感覚に集中する。そうすれば、何をすべきか考えるまでもなく、体がすべきことをするように誘導されていくとも言う。

武道は心の修行とか、人間性を高めるために行うというが、結局は殺人の技術である。無心を極めることも、品格を高めることも、それがより優れているほうが生き残るから、である。同時に、相手は屍となる。気分のいいものではないだろう。動揺するだろう、手が震えるだろう、眠れなくなるだろう。だから、無心がいいというのはうがった見方か。

タイマッサージ道は違う。人を生かすための道である。同じ道でも、長い時間をかけて極めるならば、こっちの方が役に立つし、使うことでこちらも幸せになれる。武道の道場のように、タイマッサージの道場がたくさんできるような時代になってほしいものである。いや、そうするのが私の仕事なのかもしれない、というのが新年の所感である
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (4112)

無邪気ということ

カテゴリ : 
タイマッサージの技術
執筆 : 
camel 2011-2-28 9:45
タイマッサージの達人達には共通項がある。

無邪気

大学教授や医者と協力してタイマッサージを現代に復興させ、国家資格化にも大きな貢献をしたピシット先生と聞くと、大学の先生やお医者さん、あるいは大企業の社長のように重厚で厳粛な方かと想像してしまうが、実際にはいつもニコニコ、笑顔が耐えないとても親切で優しいお方である。童話の一休和尚か、良寛和尚のようなイメージである。

チェンマイの人里離れた郊外のアシュラムに信者を集めるピシェット師にしても、教団教祖のような重々しい感じは一切なく、やはり常にハッピーな感じで、とても気さくで親切な兄ちゃんみたいなお方である。

ママレック、ワンディ、シンチャイ、・・・、どの先生もやはり同じで、ハッピーを撒き散らしているような人ばかり。それがどこから来るかというと、無邪気さなのだ。

そう、無邪気な子供のような感じで、世間知らずな子供だから幸せなように、世間を知っているにも関わらず、そういう人間の汚いところを一切見ようともせず、人を信じ、邪さのない、きれいな心を保っている。

悟った坊さんのようでもある。

無邪気だからタイマッサージの達人になったのか、タイマッサージを極めようと努力する過程で無邪気という要素が必須であることに本能的に気づいてそこを無意識に磨いていったのか、それはわからないが、無邪気ということがタイマッサージで非常に大事なことであることは間違いないような気がする。4月に来日するワンディ先生もとても「無邪気」な先生なので、参加される方にはワンディの人間離れした無邪気っぷりを感じていただきたいと考えている

写真は、「無邪気な」ワンディ先生と筆者
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (2963)

進化するタイマッサージ

カテゴリ : 
タイマッサージの技術
執筆 : 
camel 2010-8-30 10:32
実は、当スクールで教えているタイマッサージは毎年変化している。
「前に教えてもらったことと違う」ということがよくある。

変化する理由は、ピシット先生自身が手技を変えるからである。技術のキャッチアップを行うため毎年2回、バンコクを訪問することにしているが、行く度にピシット先生が教えることが微妙に、時に大きく変わっている。副教師のパーニー先生とピシット先生が教えることが違うことも多々ある。パーニー先生がやり方が変わったことを聞いていないからそういうことが起こる。

行く時期によって言うことが違う、先生によって教えることが違う。学校として教えていることがぶれている、いい加減、と取られがちがだそれは違う。ピシット先生が現在も手技を改良、修正し続けているのがその理由だ。

そもそも、タイマッサージはルーツもたくさんあり、先生によって言うことも違う。タイマッサージは単一ではなく、50年ほど前までは王宮、寺院系、そして田舎のタイマッサージと多くの流派が乱立していた。

この30年ほど、それらを現代医学的な視点で見直し、再構築し、国家資格化をしようという取り組みが行われてきた。そのプロジェクトにピシット先生は深く関わっている。

それが、どういうものかというと、たった一つの指圧ポイントがどこかについて大学教授、医者、複数のタイマッサージマスターが丸一日議論をすることもあるらしい。医学的知見、そして、押したときのセンへの響き、治療効果、古い文献、そういうものを多角的に見直して、正確な知識を積み上げていくという気も遠くなるような作業を行っている。その結果、より精度が高くなる方向に手技は変化する。ピシット先生が他の先生の手技を変化させることもあるし、ピシット先生もいいと思ったことはどんどん取り入れる。

2年前の国家資格化により、一段落したその会合だが、現在も行われている。医学も、伝統医療も日々新しい発見があり、進化は止まることはない。これで終わり、完成ということはない。

チェンマイ等の田舎のマッサージマスター、そして一般的な多くのタイマッサージスクールは、学者や他のマッサージマスターと交流せず、何年も同じやり方を続けているケースがほとんどである。

医療や技術というのは本来、日々進化して当然のものだ。
教えてきたやり方を捨て、新しいやり方を取り入れるのは勇気の要ることだ。生徒の前で、過去の自分を否定することになるから。
ピシット先生は、現在既にタイマッサージの第一人者として名声を確立しているにも関わらず、自分の手技を客観視し、他の先生の意見についても正しいと思ったことは素直に取り入れ、日々技術を進化させているところが凄い。
ピシットスタイルが他のスタイルより素晴らしい理由の一つはこういうところにあるし、だからこそ、ピシット先生がタイマッサージの第一人者であり続けるのだろう。

「完成したと思った瞬間から後退が始まる」というのは私の持論だが、私も常に勉強を怠らず、自分のやり方を日々見直さなければいけないと思う

下の写真は、王宮近くで売っているシワカ・コモラパ像

  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (2825)
当スクールの受講生は実に様々で、マッサージのプロの方も多い。特に多いのが、アロマオイルマッサージサロンのセラピスト、ヨガインストラクターの先生、そして鍼灸按摩マッサージの資格保有者。

当初私は、資格保有者の方はタイマッサージを蔑視しているという先入観を持っていた。だから、そういう方がいらっしゃると、タイマッサージが馬鹿にされるのではないかという不安を持っていた。しかし、それは全くの杞憂で、プロの方はベースとなる技術、そして技術の意味を見極める目を持っているので初めての方以上に、ピシットスタイルタイマッサージの奥深さをすぐに理解し、異口同音に「素晴らしい」と評価してくださる。特に40種類のストレッチは、日本の整体や按摩マッサージとは全く異なるようで、体の使い方や複合的にストレッチを決める効率の良さに「よく考えられている」「この方法を思いついたことがすごい」と言って下さり、とても嬉しい。

そういうご意見をいただく度に、改めてタイマッサージの、そしてピシット先生の偉大さに感動する。私が明確に気がついていなかったことも多く、一つの手技を決めるまでのステップ、ポジショニングには細かいところに深い意味が隠されている。

例えば日本の浮世絵は、海外に出ることでその世界的な評価が不動のものなり、かつて日本人が国際的な劣等感の下、安い版画だと思っていたものが、実は大変な知恵と芸術の結晶であり、欧米の美術作品以上に価値があるものだと知ることになった。

タイマッサージも世界に出て、多くの専門家の目に触れて、その価値が再認識されるものだと思う。私がそれを今、感じている。

特にピシット先生のタイマッサージは安全性、効果、効率、すべての面で恐ろしいほど吟味されている。繰り返し行うほどにそれを実感する毎日である
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (3318)

楽になったでしょ

カテゴリ : 
タイマッサージの技術
執筆 : 
camel 2010-2-21 9:48
神秘的な施術を含め、様々な手技療法の後に発せられる一言。

「楽になったでしょ」

これを言われると、「いや、全然変わらないです」とは言いにくい。そんなことを言ったら険悪な雰囲気になってしまう。自分のために頑張ってくれた人にはありがとうと言いたい。だから、「本当!楽になりました」と言わざるを得ない。それは言いたくないわけではなく、懐疑的な気持ちを抑えながら、"そう、確かに楽になっている"と自分に言い聞かせながら、楽になったことを本当に確認しようとしながら、何となく楽になったかもしれない、だから、嘘を言っているわけではない、たぶん本当に楽になったのだろう、だったら、楽になりました!と言うのが正しいことだ。

といった思考が働いている。一種のホメオスタシス同調である。日本人は特に相手に合わせる傾向が強いので、相手の言うことが正しいとという方向に本能的に自分の思考も同調させようとする。

別の言い方をすれば、洗脳の初期段階でもある。催眠術やディベートでもよく使われる手法だが、いくつか相手が否定しようがない事実を並べた直後に、事実かどうかわからないことを言い放つとそれも事実に聞こえる。そういうテクニックを駆使しながら、自分が話すことはすべて正しいと相手の無意識レベルにインプットする。カルト教団で洗脳されている人はすべてこのプロセスを経て、教祖が言うことは何でも正しいと肉体レベルで信じ込んでいる。

マッサージのような施術でも、これはよく使われる。空間を支配している人物(教祖)が複数の従者から素晴らしいと崇められている状況に入ってしまった患者は、自分の感覚よりも教祖が言うことの方が正しいと心から思ってしまうだろう。体が柔らかくなったとか痛みがなくなったというのは、測定不能な、感覚的な、心理的なことなので、実際には強烈に痛くても、痛くないという催眠術をかけられれば痛くないのだ。首が以前より回るようになったかどうかも、以前より頑張って回せば回るものなのだ。

ただ、言葉による誘導が悪いことかというと、そうも言い切れないような気もする。それで、患者さんの苦痛が軽減され、快適な日常に戻れるならそれでいいではないか、そう思うのだ。

言葉による誘導はヨガの先生も多用する。ヨガというのはもともと宗教的な瞑想が起源なのでグルによる催眠誘導のようなことは普通に行われてきたし、金色に輝く世界を体験できるなら、それでいいとされている。
昨今、数人のカリスマ的なヨガの先生が人気を集めているが、空間支配や視線の使い方、言葉をかけるタイミング、声のトーン、本人が催眠誘導のテクニックと意識しているかどうかは別として、確実にそういう技術を使っていると思う。生徒さんは「とにかく先生が素敵」「声に癒される」そういう反応をする。

私自身は、ピシット先生の施術は言葉など使わなくても十分な効果があると考えているが、言葉を使うテクニックを使うべきかどうかは今後の課題である。
  • トラックバック (0)
  • 閲覧 (2733)
見学・体験
ブログ-タイマッサージの真実
お問い合わせ
メンバー・ログイン